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Snookと元Snookの2人について

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スウェーデンのヒップホップデュオ、Snookと、そのメンバーだったOskar Linnros/Daniel Adams-Rayのここまでのバイオグラフィーをフォロワーさん向けにまとめてみました。推敲していないのでおかしな部分が多いとおもいます。また誤訳がある可能性もあります(意訳になってる部分もあります)ので、そのあたりはご了承ください。リノロスとレイちゃんはいいぞ…

 

 

1983-1997

Oskar Linnros(オスカル・リノロス)は1983年8月15日、ストックホルム生まれ。Daniel Adams-Ray(ダニエル・アダムス・レイ)はリノロスと3日違いの1983年8月18日、ケニアはナイロビ生まれ。

 

スウェーデン人のお父さんとインドネシア系のおかあさんの間に生まれたレイちゃんは、ナイロビの裏路地を裸足で駆け回ったりおうちでチーターを飼ったりするような幼少期を過ごした後、中学3年生の頃にはじめて父方の故郷であるスウェーデンに住むことになりました。スウェーデンにやってきた14、5歳のレイちゃんは生まれて初めて雪を見て、「なんて美しい国なんだろう」と感嘆するものの、まだ言葉が習得できていないことや肌の色の違いから学校ではいじめられてしまうことになります(本人ははっきり「人種差別」と言っています)。

 

1997-2000

その後レイちゃんは「Viktor Rydberg Gymnasium(ユールホルムキャンパス)」という私立高校に入学。個人の個性を伸ばす落ち着いた校風ゆえいじめにあうことはないものの、学校生活に馴染めないまま日々を過ごしていたある日、数学の赤点クラスでリノロスに出会うことになります。このままでは落第してしまうので誰かと協力し合わないと…ということで組むことになったリノロスとレイちゃん。リノロスはリノロスで(おそらく中2~高2病のため)学校から浮いており、あぶれもの同士で意気投合した2人はすぐに親友と呼べる関係になりました。

 

レイちゃん曰く、「ぼくらは出会った当初、お互いのことをそっくりだと思ったんだよ」「(それまでスクールカーストの外側で生きてきたけれど)ぼくらは一緒にいることで今までよりも強くなれた」。2人とも音楽に興味があり、レイちゃんのお父さんのレコードコレクションを一緒に漁ったりするなかでヒップホップへの興味をはっきりさせていくことになります。2MCでグループを組むことにした2人は、リノロスのお父さんのマックを使い自分たちのラップを録音して遊びはじめました。2人で最初に作った曲は、お互いをディスりあう内容だったそうです。ちなみにレイちゃんは解散後のインタビューで「Snookが恋しい?」という質問には「Snookのことは恋しくないけど、僕らの間にあった友情は恋しく思うよ、特に高校時代のね」と、「Snookとしての一番の思い出は?」という質問には「はじめて一緒に録音したものを聴いた時」と答えています。

 

2000-2003

そうこうしているうちに高校を卒業。同級生たちが就職したり、そうではない子はアジアを放浪したりしている中、リノロスとレイちゃんは一緒にアパートを借りるために、そしてラッパーとしてデビューするためにリリックを書いては録音する生活をはじめます。Snookという名前がどの時点で付いたかはわからないのですが、Snookとはスウェーデン語で鼻のスラングだとのこと。高校時代はおぼっちゃま高校の中でヒップホップなんて興味をもつ子はおらず、結果としてあぶれもの同士がさらに浮くこととなっていましたが、高校卒業後は少しづつ若いラッパーやトラックメーカーと出会い、世界を広げていきます。この頃はストックホルムから40分程度のウプサラに住むFilthyことMagnas Lidehällのスタジオで録音をすることが多かったようです。

 

2003-2005

それまでも「Änglalik」や「Havok」「 Generation fuck you」などの曲がネット上で話題になっていたSnookでしたが、Snookとしての音源デビューはそのFilthyと組んでいたAfasi(Herbert Munkhammar)のユニット、Afasi & Filthyの「1990 nånting(2003)」となりました。この曲のヒットをきっかけに、翌年にはSnook初のアルバム、「Vi vet inte vart vi ska men vi ska komma dit」の自主制作盤をリリース。これが売れたため、何曲か追加してMalmöのレーベルから正式にデビュー。収録曲の「Mr.Cool」がスウェーデンのラジオやMTV的なものでヒットを飛ばし、その年の「最もブレイクしたアーティスト」にも選ばれました。


Snook - Mr. Cool (Live 'Sommarstad', Gotland) 2004

ヒップホップとしてはかなりオルタナティヴな音だったこと、なによりヒップホップにおいては当時かなり不利であったアッパークラス出身であることから厳しい評価は受けますが、見た目の可愛さと若さ青臭さからアイドル的な人気も獲得し、一躍人気アーティストの仲間入りをすることになりました。ツアーだけではなく大型フェスにもブッキングされるようになり、2004年のHultsfred Festivalでは深い時間でのライブながら会場の床が抜けるくらいの騒ぎになったとか…ちなみにリノロスは解散後のインタビューでHultsfred Festivalでの一夜のことを「Snookで一番の思い出」にあげています(リノロスはこの時、長髪をステージ上でばっさり切ったとか)。

 

2006-2009

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2006年にはセカンドアルバム、「Är」をリリース。このアルバムはファーストと同じように売れ、それよりも高評価を獲得することになり、スウェーデングラミー賞やヨーロッパ版のMTVアワードを受賞するものの、その裏ではリノロスとレイちゃんの仲が徐々に悪くなっていきました。理由ははっきりとは語られていないものの、2人の弁をまとめるとやりたい音楽が食い違ってきたことや、そのためにお互いの存在が足かせになっていたこと、なによりSnookそのものが自分たちでコントロールできなくなってしまったことが理由のようです。また、リーダーシップを取っていたのはリノロスでしたが、レイちゃんの方がラッパーとしては評価が高く、2005年にフリースタイルの大会でスウェーデン1の座を獲得したりしたあたりから少し2人の関係は変わってきていたとか。2ndアルバム関連のツアー後リノロスは何度もレイちゃんに連絡を取ろうとしたけど、返事が返って来なかったと言っていて、「後ろを振り返りもせずに行ってしまったのはダニエルの方」というような認識もあったようです。

 

ノロスはこの頃自分の恋人でもあったVeronica Maggioをはじめとして、プロデューサー業をスタートし、レイちゃんは専門学校でかねてより興味のあった服飾デザインを学び始めます(服飾で学士を取った後は、自分のモードブランド「LAGOM」を立ち上げています)。

 

2008年はSnookとしての活動はほぼなく、2009年の夏に前々からブッキングされていたフェスとコンサートを2本こなした後、Snookは解散のステートメントは出さないまま事実上の解散となります。レイちゃんはSnookとして最後となったコンサートを振り返って「解散を決めていたわけではないけれど、お互い本能的にこれがもう最後だな、ぼくたちはこれまで一体何をしていたんだろうと思った。」「でも、オスカーともう喧嘩をしたりいがみ合ったりしなくてもいいと思うとホッとした」と述べています。

 

2010-2016

ノロスはヴェロニカにフラれ、レイちゃんはLAGOMを運営しながら二人ともソロ活動へと意識が向いていきます。ちょうどこの頃、2人のアパートは150mくらいの距離にあり、リノロスは時折道端でレイちゃんにばったり会ったりしていたとのこと。リノロス曰く「散歩しに外にでるとよく、洗いざらしの髪のまま、カスタムした自転車を乗り回してるダニエルと出会ってたよ。軽くHej,hejって挨拶くらいはするんだけど、そんな時は結構悪くない雰囲気なんだぜ。でも、ダニエルがその頃ソロデビューの準備を進めてるなんて知らなかったよ」

 

2010年の初夏にリノロスがソロアルバム「Vilja Bli」を、同じ年の秋にレイちゃんが「Svart, vitt och allt däremellan」をリリース。事あるごとに比べられることとなったソロ1枚目ですが、そのことに対してレイちゃんは「オスカーはぼくが音楽をはじめて最初の10年間を一緒に過ごし、同じバンドを組んでいた人だよ。似てしまうのは仕方がないね」と言いつつもリノロスのソロ曲に対しては「ぼくがやろうとは思わないような王道のスウェディッシュポップだよ」とコメントしています。一方のリノロスは「俺が(別れた)ヴェロニカの新譜を聴くなんて変だろ?それと同じでダニエルの音源も聴いてないよ」と。

 

この頃のインタビューではリノロスがヴェロニカの話を振られることが多く(ソロでのヒット曲Från och med duがヴェロニカのことを歌っていると思われるため)、レイちゃんの方がSnookとリノロスの話を振られることが多かった模様。レイちゃんのソロでのヒット曲「Gubben i lådan」は「君にすべてを捧げたけれど、何も返ってはこなかった、だけどぼくは君のために1,000回だってそれを繰り返すよ」という歌詞で、しばしばこれがリノロスとの関係のことだと言われてきています。レイちゃんはこの曲について「僕とある人との関係についての曲だよ。僕はその関係の中で自分自身を見失っていたんだ。少し行き過ぎた忠誠心でもってね。その関係が上手く終わった時、僕はその関係の中で自分の一部を失ったと気付いたんだよ」と意味深なことを言っています。レイちゃんのその答えに対し、インタビュアーは明らかにリノロスのことを含んで「その関係は友情、それとも恋愛感情?」と誘導質問をしますが、レイちゃんはリノロスのことを含んでるとわかった上で「友情と恋愛感情はどう違うのかな、同じものじゃないのかな」というとんでもない爆弾発言でうやむやにしています。

 

そのほかにもレイちゃんの印象的な発言をいくつかピックアップしてみます。

「(ぼくたち二人がこれ以上関係を悪化させることもなく、別々のステージに立って、それぞれの活動で成功している上で)もし誰かがSnookは終わった、って考えるのなら、これがSnookにとっての完璧なハッピーエンドだって僕らは感じるよ」

 

「ぼくらはもう親友ではないし、一緒にいることもないけど、それでもぼくはオスカーのミュージシャンとしての成功を見ることができることをものすごく誇りに思うよ。高校時代の親友でぼくと一緒にバンドを始めた彼が、ソロとして成功するのを見るのはとてもクールなことだよ」

 

同じ年にソロ活動をはじめたため、インタビュアーに「オスカーがソロで失敗すればいいって思ったりした?」と意地悪な質問をされ「そう思うことはできるよ、でも彼は失敗なんてしない。絶対に」 

 

一方その頃リノロスは「背が低いってどんな感じ?」とインタビューで聞かれて「サイズがなくてね…女物着てるんだぜ」とか「スウェーデンでは小さいけど日本に行けば普通だろ?」とか答えています(かわいそう)。

 

2013年にはリノロスが「Klappar och slag」、レイちゃんが「Innan vi suddas ut」とそれぞれ2ndアルバムをリリース。「おれたち、お揃いのタトゥーを入れるべきだったかな」「でも、もう遅すぎる」と歌う「För Sent」はリノロスが明確にSnookについての曲だと言っています。一方レイちゃんは「Tårarnas reservoar (涙の泉)」をSnook時代に出会ったけれど、若気の至りの馬鹿騒ぎのなかでアルコールに溺れたり、精神を病んだりしてもう会えなくなってしまった人たちについての歌、と言っていますが「ぼくらがどんなだったか覚えてる?」「ぼくらは同じプラットホームに立って、空想のお城を作っていたね」「壊れてしまった儚い約束は、今もこの胸に響いてる」というあたりはどう考えてもリノロスのことですねと…

 

ノロスは2ndアルバム関連のツアー後、人目にさらされるのは疲れたと無期限でソロ活動を停止、裏方業に専念しはじめ、レイちゃんはLAGOMを撤収、トライアスロンなど長距離系スポーツに傾倒しつつもAviciiのアルバムにボーカルゲストをしたりしつつソロを継続。ここまで二人とも「Snook再結成は絶対にない」「Snookは黒歴史としながらもお互いをメディア上でディスることは絶対にせず、「昔、親友だった人」であり「好きでも嫌いでもなく縁がない人」という形で没交渉の状態を貫き続けてきました。唯一例外的にリノロスが「1stをリリースしてから今年で10年だし、(解散せずにここまできてしまった)Snookの葬式をするためなら2人で会ってもいいかもな」と言っていますが、この穏やかな没交渉状態はこれからも変わることがないと、ファンよりもむしろ本人たちが思っていましたが…

 

2016-2017

2016年以前に2人が最後に出会ったのは、2014年のニューイヤーパーティー。偶然出会った彼らはしばし座って思い出話なんかをする…わけもなく、ただ軽く握手をしただけ。それがリノロスとレイちゃんが元親友と会った最後のエピソードとなっていましたが、2016年5月の中頃、全くなんの前触れもなく、レイちゃんのインスタグラムにリノロスとの2ショット、しかもセルフィーの2ショットがアップされ、私だけではなく文字通りスウェーデンのメディアが騒然となる大事件が発生。

 キャプションには「ぼくらはÄrをリリースしてからの10年、たくさんのことを学んできたし、何も学んでなんかこなかった。だけど、最高のことはまだこれから」とだけ。各メディアからのリアクションをスルーし、レイちゃんはkingsizemagにのみ「ただ友達2人が写ってる写真ってだけ。(あんまり詮索せずに)尊重してね」とコメントしています。

 

この頃レイちゃんは4曲入りのEPをリリースし、夏のフェスツアーが始まったところ。再結成なのか何なのかもまるでわからず2人からの音沙汰はないまま8月14日。レイちゃんは屋内フェスStay out west(大型フェスWay out westのスピンアウトで深夜帯の開催)でヨーテボリに。アンコールの「Gubben i lådan」の後で客電が落とされ、オーディエンスがこれでおしまいかなと思ったところで再び客電がつくとレイちゃんの隣にはリノロスが、という最高のシチュエーションで新曲を披露。実に8年ぶりに同じステージに立ったリノロスとレイちゃんの様子を、雑誌にインタビューを受けたお客さんが「めっちゃラブラブだった」と報告しています。

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8月14日以降も公式からのアナウンスはなく、Snookの再結成なのかなんなのかもわからないまま、9月10日。今度はリノロスの地元であるストックホルム郊外のスンドビュベリで開催された単発ライブのアンコールでレイちゃんがゲストし、ヨーテボリと同じ曲を。この時も2人のラブラブな様子がインスタグラムなどで流れてきておりました。

 

そして9月21日。この日はレイちゃんのストックホルムのGröna lund公演。ツアーファイナルなのもあり、みなの期待が高まる中、朝から少しずつ情報が流れ、最終的には夜9時にリノロスとレイちゃんのシングル「Sitter på en dröm」をリリースするとのアナウンス。Grönalundのアンコールでリノロスとレイちゃんが一緒にステージに立つのと時を同じくしてオンラインでの音源配信もスタートしました。

 

「Sitter på en dröm」のプレスリリースは以下の通り。

今年の春、何度か一緒に散歩をしたり、一度はしこたま酔っ払ったりしたあと、ぼくらは一緒にスタジオに入ることを決めたんだ。これはこの10年間なかったことだよ。ぼくらはそこでいろんなものに出くわしたんだ、例えばお互いのソロアーティストとしての成功とか、美味しいテイクアウトのコーヒーとか、それから、いくつかの解かれないままだったわだかまりとか。それに、ぼくらの本名における誇りもね。今、ぼくたちはSitter på en drömを皆にシェアするよ。ぼくらがこの曲を作ったんだよ。ぼくらが この曲をゼロから、一緒に。

 

また、Spotifyに上がった動画ではレイちゃんが「ことの成り行きは完全に自主的なものだったよ、なぜならぼくらのどちらにとってもこれは予期せぬ出来事だったから」と、そしてリノロスが「俺たちが最後に一緒にいた頃から、マジでたくさんのことが変わってしまった。でもそこには何かしら変わっていないものはあったし、これからどうなるかは無視して前に進みたいっていう直感的な本能を俺たちは持ってたんだ」というようなことも言っていました。

 

プレスリリースでも「本名における誇り」と言っているように、この曲はSnookではなくあくまでリノロスとレイちゃんの連名としてリリースされた曲であることが重要なようです。「Snookの再結成は絶対にない」という言葉は実質守られているわけです。

 

2017

多くの人が今後の2人での活動に期待をしましたが、リリース後は特にこれといったアナウンスも2人の絡みもなく、レイちゃんはスタジオに入りつつトライアスロンの大会に挑み、リノロスは4年間のソロ休止から復帰、新譜をリリースし夏のフェスツアーに出かけます。これで二人とも自分の活動に戻ってしまったなぁ、と思っていた8月末、リノロスのEPがリリースされたタイミングでレイちゃんが収録曲の「Oavsett」へのリアクションをインスタグラムにアップ。「chef d'oeuvreという言葉を検索してごらん。ヘッドホンをして、雑音はシャットアウトして聴いて。ぼくの兄弟、オスカーはきみの周りの重苦しい空気に波を起こして、くだらないものから何か美しいものを作り出してくれるよ」。レイちゃんはこの時、リノロスがアップしていた短い動画の中の、ちょうどレイちゃんと仲が一番良かった頃(デビュー前)のリノロスをキャプり、その写真にこのコメントを加えていました。そしてリノロスは「兄弟。写真の子、俺たちがはじめてレコーディングした部屋にいるその子が誰だか、お前は知ってるよな。お前がこの曲を気にってくれたことは俺にとって大きな意味があるよ。もし、誰かとコーヒーが飲みたくなったら俺に知らせてくれ」と直接コメントで返しています。ちなみにOavsettのサビは「お前がこれを聴いてくれていることを望むよ」です。

 

9月頭。レイちゃんは9月5日から9月末まで、Strandvägen1というビストロで毎日日替わりゲストを呼んでの20公演というハードな企画を控えており、一方リノロスは9月2日のストックホルムでのフェスPopagandaでツアーファイナルを迎えようとしていました。9月2日の午前中、レイちゃんのインスタストーリーには5日からのライブ衣装のフィッティングをしている様子がアップされ、レイちゃんはレイちゃんの仕事をこなしているからツアーファイナルでのゲストはないか…と思いきや、まさかのアンコールでSitter på en drömのイントロが流れ、ニコニコしながらステージに現れたレイちゃん……フィッティングの時の服そのままで会場まで駆けつけてくれたようでした。そう、私はその時その場にいたんです。Popagandaの会場で、レイちゃんがリノロスの前に跪いて、手にキスするのもその場で見ていました……

 


Oskar Linnros / Daniel Adams-Ray / Sitter på en dröm / Popaganda 2017

その時の様子がこちら。

 

 

 

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そしてリノロスの夏ツアーは無事終了し、今度はレイちゃんのStrandvägen1がスタート。どこかのタイミングでリノロスのゲストはあると思われましたが、9月21日、そうSitter på en drömをリリースしてからの1周年記念でStrandvägen1にリノロスが登場し、ソロの曲を2曲やった後、Sitter på en drömと、とうとうSnook時代の曲(Kommer ifrån/Längst fram i taxin)を一緒にやることに。本当にここまで、2人がSnook時代の曲を笑顔でやれるようになるまで短いようで長い10年間でした…

 

11月にはレイちゃんがHUMANという名義で一種のコレクティヴ的な活動を始め、その第一弾シングルをリリース。今度はリノロスがインスタグラムでおれの3日年下の弟のダニエルは常に前に進み続ける。そういうところにずっと感服してきた。おれがバカみたいにジョギングで彼に付いて行った時を除いて」とリアクション。その一週間後、リノロスの新譜の完結編「Väntar på en ängel(waiting for an angel)」がリリースされた際は、レイちゃんがリノロスの自宅のスタジオでやるプライベートなリリースパーティーに(最近飼いはじめたビギーちゃんというわんこを連れて)遊びに行き、翌日には「Sankt Oskar(聖オスカー)は34年間飛んできて、今日きみのステレオに降り立ったんだよ」とängelにかけたとんでもない推薦コメントを更新していました。2017年11月現在、2人の関係はここまでリラックスしたものに変化してきています。

 

Snookは大人への入り口としては最適だった。ダニエルと旅をするのはとても楽しかったよ、しばらくの間は。あくまでSnookはライフワークではなく子供時代のお遊びだったんだ。

大人になりはじめると、いろんなことがより難しく辛いものになっていくなんて学校では教えてくれなかったし、そういったことを乗り越えて大人になると、今度は色んなことがより楽しく、簡単になっていくということも教えてくれなかった。人は、最初から完成されているのではなく、ゆっくりとそうあるべき人物に成長していくし、今の俺とダニエルがそうなんだと感じてるよ

俺たちはSnook時代の問題をうまく解決したし、これから先、俺たちの関係が辛いものになることはないよ。ただ、これからもダニエルと俺は別の道を歩むけれども

 

10月に発売された雑誌「King」のインタビューでリノロスはこんなことを言っていました。この言葉通り、Snookはあくまで過去であり、大人になった2人が同じ道を歩むことは今後もなさそうではありますが、それはまさしくSnookにとってこれ以上ない完璧なハッピーエンドだと言えるでしょう。

 

最後に。リユニオン後の観て欲しい動画いくつか。

vimeo.com

↑Strandvägen1のサンクス動画です。